家でもそんな生活ぶりなんだろうなぁ

 その最たるものの一つが、扉の開け閉めについてだ。ローカル線と俗に呼ばれる、一時間ごとに電車の出る地域では珍しくも何ともない一コマに、それはある。電車の入り口の脇に「開」「閉」の二つのボタンが付いているのである。無論開け閉めの為に使うもので、電車に乗る為には「開」ボタンで扉を開く必要があるのは、まあ当然誰でも予想できるであろう。
 しかし、このボタン、なぜか外のほうには「閉」のボタンが付いていない。これはとてもおかしなことだと思うのである。
 乗る客はいい。内側から閉めることが出来るのだから乗り込んだら後続がいないか確認して、いないなら閉めればいいのだから(少なくとも私が使う路線の人間にはこの常識往々にして通用しない。彼らは自分のことに忙しくて、結果この車内の空調で調整された空気が外に漏れ出したり外の季節によっては寒かったり暑かったりする空気が車内に入ってきても「私以外の誰かが閉めるだろう」という態度で座席にふんぞり返る。)問題は、無い。
 しかし、降りる客はどうすればいいのかという配慮はまったく無いのではないだろうか?
 降りる客が扉を閉めるには「閉めるボタンを押し、扉の閉まる前に迅速に外に出る」というテクニックを要求される。無論、降りるという行為のためにわざわざ扉に挟まれる危険を付与する必要性はそう高くないと多くの客は判断するであろうし、だから結局のところ大多数の客は閉めずに降りる。*1
 正直、この降りる時の人任せの態度、「後は野と慣れ山となれ」的な態度が乗る時の開けっ放しで通過する、という行為を助長させているのであろう。無論、逆もまたしかりである。*2
 この一週間は冷え込んできたのもあり、こういった状況が特に目に付くので余計に考えさせられたのであろう。そういったことがあるたびに私は席を立って扉を閉めるわけだが、これに奇異な目を向ける奴らの方がおかしいと思うのは間違っているのだろうか?我慢するのもの限界にきて注意したら「睨むこと無いじゃない!」と逆切れするし。少なくとも社会に出て働いている奴が扉も閉められないことを恥じる様子も無いのが重症だなぁ、とポカーンとしてしまった。(その後隣のおばさん方がなだめるように「あっちが悪いわよねぇ?」とフォローしていたあたり本当に切れそうになっていたのであろうけど……正直そのフォローの方が恥ずかしかった)

*1:不思議なことに一人や二人などの少人数だと、最後の人が閉めていく

*2:このフレーズは気に入ったので「後は野と慣れ山となれ」効果、もしくは「山となれ」現象と勝手に命名しよう