まあ、そうそう上手く行かないけどね

 理性という物や羞恥心という物は、どんな状況下でもついて回る物なのである。だれだって頭に血が上っても原因を物理的に排除したら自分も同じ事をされる危険性があると分かるし、なにより法律的にも逃げられないと身に染みてわかっている。なによりそれがまかり通って良いはずがないという「確信めいた何か」に静止されてしまうのである。空気を読む、とは多分そういうことに敏感であることだと私は思う。
 いくら優れたゲームでも、羞恥心を消してはくれない。結局自分をさらけ出すのが怖くなりあいまいな存在となってしまう。だから演じる必要のない「手製のダンジョン」というのはひどく魅力的なツールだと思う。
 まあ、今日はこれが書きたかったのである。

2004年12月3日 金曜日 ああ、移動速度の計算めんどくせェ、と思いながら。
                                    虫食いパン