我考えぬ、故に我なし?

 では、観測しなければ物体は属性を固定されないのであろうか?少なくとも観測という行為が属性を固定するというのであれば観測と物質の属性の間にはある程度の因果関係があるはずなのである。観測行為が行われていなければ物質は変幻自在なのであろうか?観測という行為が極端に少なくなれば物質の属性は曖昧になっていく物なのだろうか?
 私はそれを勝手に認識の魔術と呼ぶことにした。もっと皮肉っていえば「孤立者の自由」とでも言おうか。
 科学的に考えてありえないという人物が何か物理的にありえない現象を「非論理的だ」と否定する時に使おうと思う。だって、属性が変わると言う事は妙な反応を起こしうるということだし、それなら人のいない教室のピアノが鳴ったり、学校にあるモナリザの絵が表情を変えたように見えても、それはありえないとは言いきれないと言う事だから。

2004年12月7日 火曜日 皿洗いというのも、機械だよりの時代になっていたのだなぁと思いつつ。
                                    虫食いパン