目的としての「生きる」ということ

 手段として記録する行為を挙げると、必ず反論する人がいる。では、逆に生きることが目的であると仮定しよう。
 漫画や小説に例を上げるとわかりやすいが、人は手段であるはずの創作活動をさもそれが目的のように錯覚しがちだ。良い作品を作るために作業のやり方をより効率的にするのに夢中になったあまり、結局初めほどの結果を出せなくなるというのは創作活動が目的となってしまったせいで「結果(=自己保存)」がないがしろになってしまう良い例だろう。
 ふむ、我ながらどちらも中途半端な理屈だなぁ。暇なときはこんな事を考えるのも乙な物である。これを読んでいる貴方も頭をひねってみよう。(と、お茶を濁して逃げる)

2004年12月8日 水曜日 ああ、皿洗いのゴミを出しに行くの忘れちまったなぁ、と思いつつ
                                    虫食いパン